河井孝仁のシティプロモーション日記とか

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表現規制への問いかけ

 下記は、表現の自由について考える集まり「うぐいすリボン」のwebサイト向けに書いた文章ですが、再録を許可されたので、ここにも載せておきます

 昨年12月17日に行われたうぐいすリボン浜松講演会で行われたパネルディスカッションのコーディネーターを務めました。内容は性的表現などを理由とするアニメへの規制をどのように捉えるのかという問題が中心になっていました。なかなか楽しい意見交換ができたのですが、そのときの感想などを含め、漫画・アニメ・ゲーム等に対する表現規制の問題について何か書くようにという荻野さん指令がありましたので、ちょっと考えたことなどを記してみたいと思います。  パネルディスカッションを終えた後に「豊かなコンテンツのための裾野としての多様性を保持するために一律規制は疑問。自主規制の際の透明化の必要性なども議論。面白かった」というツイートをしたのですが、今も同じ考え方をもっています。

 あわせて、その後に考えたこととしてリスク(・ベネフィット)選択という発想があります。人が生きるなかで触れるもののなかで、リスクのまったくないものはほぼありえないと考えています。ベネフィットがまったくないものはある程度は存在するのでしょうが、それもそうは多くはないはずです。さらに、Aというものを選択するかしないかという状況ではなく、いずれもリスク(とベネフィット)のあるAかBのいずれを選択するかという状況も不断にあります。

 つまり、生きるということは、それぞれの個人にとってのリスク(・ベネフィット)選択の連続になります。そして、多様に出会うもののリスクもベネフィットは、それぞれの人にとって異なります。ある人にとっては小さなリスクであると考えるものが、別の方にとってはとても大きなリスクになることは珍しくありません。それは、それぞれの感性という問題にとどまらず、性別や年齢などの属性による場合もあるでしょう。

 そうしたことを考えたとき、それぞれの個人がそれぞれの責任でリスク(・ベネフィット)選択することが「生きる」ということであり、自分以外の誰かによって選択されたリスク(やベネフィット)を甘受しなければならないという状況は「生きる」ことにはならないという考えが導き出されます。

 そのときに前提となる二つの点があるでしょう。一つずつ考えていきたいと思います。

 一つは自らのリスク選択が、他者のリスク選択を阻害する、一方的にリスクをとらされるときには、そうならないためのきまりやしくみが必要になることです。たとえば喫煙規制があります。本来は喫煙に伴うリスクをとらないことを選択した個人に、間接喫煙という形で結果的にリスクを与えてしまうのであれば、あるいは、喫煙というリスク選択が個人のリスク選択にとどまらず健康保険というしくみを通して国家的な財政危機をもたらし、国民個々のリスク選択を困難にするのであれば、なんらかのきまりやしくみが求められます。きまりとしては路上喫煙者の罰則を与える条例などがあり、しくみとしては高額なタバコ税などがあるでしょう。

 一定の性的表現物を閲覧することによるリスクをとりたくないという考えをもっている個人の選択を保障するために、書棚等の指定を行うというきまりもその一つだと考えます。一方で、ある人々がリスクをとりたくないとして閲覧を避ける性的表現物を、自らのリスク(・ベネフィット)選択によって閲覧する人が存在すること、そうした人々のリスク(・ベネフィット)選択を守るために、そうした性的表現物を提供する生産者・流通者を高く評価することも必要になります。

 もう一点は適切なリスク選択を行うためには判断の基準となる情報が的確に存在することが求められるということです。この場合の情報は唯一の解としての情報ではないことも多々あります。たとえば、暴力的な表現が現実の暴力をひきおこすのかという点について、イエスという情報もノーという情報もありえます。そのとき、イエスまたノーという結論が提供されればいいわけではありません。そうであれば、自らの責任としてのリスク(・ベネフィット)選択は不可能になります。求められることは、そのイエスまたはノーが、どのようなエビデンス(証拠)とどのようなロジック(論理)によって成立したのかということの見える化です。科学的態度とはそのようなことだと考えます。

 専門家とは正しいことをいう人ではありません。自分の収集できるだけのエビデンスを用い、破綻のないロジックにより結論を出す人を専門家という、それにとどまるはずです。エビデンスの収集が不十分であったり、ロジックに狂いがあれば結論が誤ることもありえます。個々の人々が責任を持ってリスク選択を行うためには、専門家の見える化されたエビデンスとロジックを吟味することが必要になります。個人での吟味が困難であれば、多様なコミュニティにより吟味することもできるでしょう。そのうえで一定の知見・覚悟をもっていずれかの結論を選ぶことになります。情報を参照するとは、そうした十分な吟味と覚悟によって行われなければなりません。学ぶということは、そうした能力を身に着けることです。教員という側面もある仕事をしているものとして十分に留意したいと思っています。

 生きることは不断のリスク(・ベネフィット)選択であるという発想に基づくとき、表現そのものとしては誰のリスク(・ベネフィット)選択を阻害することのない漫画・アニメ・ゲームなどの表現物の一律規制が支持されないのは当然だと考えます。

 そのうえで、各個人のリスク(・ベネフィット)選択を保障するために、どのようなしくみやきまりがありえるか、「見える化」を基礎において多様な検討がありえると考えています。
  1. 2012/02/18(土) 23:04:58|
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河井孝仁

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