河井孝仁のシティプロモーション日記とか

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「笑働OSAKA」の可能性と課題-『広報会議』2011年9月号

 大阪府で「笑働OSAKA」というプロジェクトが動いています。「さすがに『笑いの都』大阪、府職員が大笑いしながら働いている」、というわけではありません。そうではない「笑働OSAKA」の概要をこれから紹介するとともに、そこから汲み取れる、自治体によるコミュニケーションの可能性と課題について考えていきましょう。

 府の都市整備部が事務局となる「笑働OSAKA」はアドプト・ロード・プログラム発足10周年を機に、新たなムーブメントとして始められました。アドプト・ロード・プログラムとは、市民グループや企業などに道路の一定区間を「自分の子ども」として考えてもらい、継続的な清掃や緑化活動を行ってもらうものです。

 公共的な場所の管理と言えば行政が行うものという考え方を越え、民間のグループや人々が公共空間を日常的に清掃したりする、こうした活動は大阪府だけではなく多くの自治体で取り組まれています。アドプト・プログラムと呼ぶ自治体も、アダプト・プログラムという名称で推進する自治体もあります。道路だけではなく公園や河川などを対象とする活動もあります。公益社団法人食品容器環境美化協会は、アダプト・プログラムの情報センターとして多くの事例を収集し、今後のあり方などについて検討するために研究会やシンポジウムの開催などを行っています。興味を持った方は食品容器環境美化協会のWebページにアクセスしてみてください。

 公共の場所を民間の人々が清掃し、美化する、それもイベントという形ではなく、日常的な営みとして行う。東日本大震災以降、人々が自分のことだけではなく、他の人々への想像力を持って暮らすと言うことが起きているなかで、そうした公共に関わる動きは当然のものと考えられるかもしれません。公共のことを行政だけに任せるのではなく、市民やNPO、企業などが、それぞれの思いをもとに連携して担っていく。それを「協働」として推進する動きもあります。

 とはいえ、個々の市民が公共のために無償で、かつ継続的に働くことは低いハードルではありません。市民には仕事、子育て、学業など忙しい日常があります。忙しい日常のなかで公共的なしごとを担えないことは、いたしかたないとも思います。一方で、そうした自分になんらかの不十分さを感じてしまうかもしれません。

 「笑働OSAKA」はそれに対して一つの答えを差し出します。「参加することも笑働。伝えることも笑働。感謝を表すことも笑働。」市民が公共を担うには多様なありようが存在するという言葉です。それぞれができる担い方で公共に関与する、そこにはステージの違いはあっても、いずれも公共空間を素敵な場所にすることにつながるという宣言です。少し長くなりますが「笑働OSAKA」のパンフレットの書かれている言葉を紹介します。

 「街がきれいになったり、子供が楽しく遊んだり、お年寄りが元気で暮らしていたり、少し先の未来に、自分たちの地域が笑顔であふれるようになればいいな…と想いながら、目の前の課題と真剣に向き合って働いている人たちがいます。何げない暮らしの中で、実にたくさんの人たちが数々の仕事をしています。じっと目を凝らせば見えてくる。小さくて、大きくて、優しいチカラ。素直な気持ちで「ありがとう」と心からの感謝を伝えたい。そして、こうした地道な活動が少しでも多くの人の目にとまり、想いを共にする人たちの輪が、もっとたくさん広がりますように。」行政が制作したパンフレットの言葉のなかで、私がもっとも好きな文章の一つです。

 無粋なマーケティングの言葉を用いるなら、佐藤義典氏が『実戦マーケティング戦略』で述べたプロダクトフローという用語にもつながります。プロダクトフローとは、売りたい商品を売るには、まず、あげる商品で体験を提供し、ステージを一段上にあがってもらう。一段上がったことで、リーズナブルな売れる商品に心理的にも経験的にも手が届くようにする。リーズナブルな商品購入でさらにステージをあがってもらい、唐突には困難な、高品質だが高価な売りたい商品を手にとってもらう、という流れを表した言葉です。

 感謝の挨拶をするための「恥ずかしいな」というハードルを越えたことに拍手する。そのことで、素敵な活動を伝えるための「面倒だな」という次のハードルを気軽に飛び越えてもらう。それができれば、公共的な場所の清掃や美化などの具体的な活動への参画へのハードルも決して高すぎることはなくなるというプロダクトフローも考えられます。

 もちろん、すべての市民がハードルを三つとも越えなくてはならないということではありません。多くの市民が最初のハードルを越え感謝の言葉に溢れる街、そのなかの少なくない人々が、素敵な活動をしている人たちのことを多様な方法で伝える街、知ってもらい、感謝を受けて、地域のために働く人たちのいる街。そうした街に住みたいと思います。

 行政が、あるいはNPOが、自分たちの個々の仕事を伝えるときに、そのような一連の流れ、期待する可能性に位置づけて、その一つ一つの仕事の意義を伝えているでしょうか。私が「笑働OSAKA」に魅かれるのは、そのプロジェクトが一連の流れとして伝えられているからではないかと思っています。

 しかし、「笑働OSAKA」についてのコミュニケーションにも残された課題があります。先日伺った府都市整備部の方からは「笑働OSAKAが挨拶運動のように思われてしまうことがある。」との意見をもらいました。確かに研修などで「感謝しましょう」と言われても「それは小学校の『ありがとう運動』みたいなものですか」と問い返されても不思議はありません。「これは笑顔で溢れる街をつくるためです」と説明されてもすぐにはピンとこないことも考えられます。

 そこにないのは「評価をコミュニケーションツールとする」という発想です。「笑働OSAKA」のアウトプットは何か、アウトカムは何かを明確にする必要があります。そのアウトプット、アウトカムの成否を評価するための手法や基準を示すことが求められます。

 「笑働OSAKA」がプロダクトフローとしての意味も持っているとするならば、どれだけの人が最初のハードルを越えたのでしょう、次のハードルを跳んだのでしょうか、「笑働OSAKA」を契機に地域の活動に参画した人が何人いたのか、確認されているでしょうか。

 「笑働OSAKA」のようなムーブメントは、そうした定量的な形では把握できないという考え方もあり得ます。先に述べたように市民には様々な事情があるからこそ多様なステージが用意されているのだから一律な評価は不適切だとの意見、地域活動への参加は多様な理由がきっかけになるのだから「笑働OSAKA」に限定しての評価は困難との意見もそれぞれに理解できます。そうであれば、定量的ではなく定性的な評価を考えてもいいでしょう。地域活動に熱心なNPOや企業のヒアリングが意味を持つかもしれません。他にも様々な評価の発想があり得ます

 ここで申し上げたいのは「正しい評価をしましょう」ということではなく「評価をすることでコミュニケーションにつなげましょう」ということです。「挨拶運動か」と問われたら「こうしたアウトカムがあり得るんです。こんな結果が生まれました。」と答えることで「では、こういう形で行ってはどうか」というリアクションを得ることができるはず、「笑働OSAKA」はそうした可能性を持った素敵なプロジェクトだと考えています。

注)食品容器環境美化協会 http://www.kankyobika.or.jp/adopt/adopt-program/
  1. 2011/10/18(火) 11:28:54|
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河井孝仁

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