河井孝仁のシティプロモーション日記とか

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行政広報に求められる想像力と市民への信頼-『広報会議』2011年6月号

 3月11日。マグニチュード9.0という地震による東日本大震災が発生しました。この文章が掲載される『広報会議』6月号が発行される頃には、震災において行政広報がどのように行われたかは既に少なくない言及があるでしょう。
 急速に広がったtwitter活用の可能性と課題、リスクコミュニケーションの視点から見た記者会見のあり方などなど。それらに感想めいた屋上屋を重ねることは、既に時機を失しているようにも思います。一方で、より深い考察に基づき議論するには発災3週間後という執筆時期はいささか短いとも考えています。
 しかし、これだけの巨大災害を看過して地域における広報の意味を述べることも誠実ではありません。そこで、執筆時までに知ることのできた東日本大震災に関わる広報を十分に意識しながら、自治体広報に求められるものについてあらためて考えたいと思います。

 行政広報に強く求められるものに「想像力」があります。まず、訴求対象者についての想像力。対象者はどのような年齢・性別・家族関係の人なのか、どのようなところに住み、どのようなところにある会社・団体・学校に通っている人なのか、どのようなことを考えて、どのように暮らしている人なのか。これらを十分に想像することで、どのメディアを、どのタイミングで用いることで、対象者への効果的な訴求が可能になるかを考えることができます。東日本大震災での一律の「被災者」がいるのではなく、また一律の「支援者」がいるわけでもありません。

 そこには、それぞれの課題や、それぞれの思い・スキルを持った「人」がいることを考える必要があります。そこに届けるために何をすればいいかを考えることが広報における想像力になります。

 既に多く言及されている北野武氏の「二万人が死んだ一つの事件(ではなく)一人が死んだ事件が二万件あった」(週刊ポスト2011年4月1日号「毒針巷談」)という言葉の重要性にもつながる点だと考えます。

 次に戦略的広報に向けての想像力があります。広報施策は個々で成果を上げるのではなく、戦略として位置づけることで成果を上げられます。広報紙を発行すること、イベントを行うこと、webページを立ち上げること、NPOや企業との連携によって情報提供を行うこと、その他諸々の広報施策がどのように組み合わせられることで効果が上がるのかを考える想像力が必要になります。クロスメディアとか360度広報と呼ばれる考え方を裏打ちする想像力です。この連載のなかで触れたことのある、対象者の行動変容を促すための広報モデルAISLA+S(認知獲得→関心惹起→探索誘導→着地点整備→実行促進+好情報発信支援)のどこに位置づけられる広報施策なのかという意識にもつながります。

 情報を広げるために意義を持つ「誘発性」という考え方も、想像力という視点から考えることができます。あえて「欠けた部分」を示すことで、それを埋めようとする言葉や行動を促す発想です。「がんばろう」「これができる」というだけではなく「我々は何ができないか」を明確に示すことで、その欠けた部分を補おうとする言葉や行動が生まれます。行政は「何ができないか」を述べることは苦手です。しかし、時には、周到にどのようなリアクションがあり得るのかを十分に想像したうえで、「できない」を発信することが市民の力を引き出す、誘発する力となります。

 想像力に関わってもう一つ述べます。それは将来への想像力です。未来(いまだ来たらず)という状況ではなく将来(まさに来たらんとす)という事態への想像力です。「次に」「次の次に」何が起こるのかを的確に想像し、その状況への地均しをしておくことも広報の役割です。想像力を働かせ、見通せることは事前に「強い可能性」として報知していくこと。市民はそれによって「不意打ち」を逃れ「受け止める」ことが可能になります。

 福島の原子力発電所事故において当初語られていたのは放射線による外部被曝でした。単位時間あたりの線量についてX線検査や航空機搭乗時の被曝との比較が多くなされ、安全の根拠とされました。しかし、原子力発電所の状況を見れば放射性物質の漏洩が起こりうることは十分に予想されていたはずです。やはり時を経ずに広報内容の多くは漏出した放射性物質の量に移りました。放射性物質を体内に取り込むことで外部被曝にとどまらない継続的な内部被曝が起きることが説明されはじめました。既にX線検査との比較を述べる内容はほとんどありません。半減期という元の放射性物質が壊れるまでの期間に関わる説明によって長期間の内部被曝は起きないという意見も出されました。しかし、福島第一原発3号機には半減期が極めて長いプルトニウムを混合させたMOX燃料が用いられていたことも既にわかっていたはずです。

 筆者は原子力の専門家ではありません。そのため、軽々に安全性・危険性を述べることは避けます。ここで述べたいのは、状況の変化に引きずられるように、後追い型の広報を行うことの危険です。将来の事態の進展をあらかじめ予測し、事前に対応をしておく。その危険性と防御可能性を先回りして示しておく。それが市民の信頼を築くことになります。

 ここで述べてきた想像力とは想像する力であり、妄想する力ではありません。つまり、その想像には一定の根拠があるはずです。根拠を示し、自らも根拠から論理的に多様な可能性を考える、それが想像力です。行政の広報には、こうした想像力が必須であると考えます。

 あるいは、こうした広報が必ずしも十分には行われなかったこと(菅谷昭・長野県松本市長の記者会見での言葉(注)のように貴重な例外はありましたが)の理由には、想像力の不足ではなく「市民への信頼」の不十分さがあったのかもしれません。

 行政が「できない部分があること」を示すことで、また、可能性は高いとしても先回りして危険性と防御可能性を伝えることで、市民に行政不信を生むのではないか、市民はパニックを起こすのではないか、利己主義的な動きに走るのではないかという危惧が、想像力に基づいた広報を行わせなかったとも考えられます。東日本大震災でも確かにそうしたことをうかがわせる状況はありました。しかし、それらを収束させたのも市民の力でした。地震による千葉県市原市での工場火災によって有害物質が降り注ぐというデマがtwitterで広がると短い時間でそれを打ち消すツイートも数多く発信されました。

 今、市民は個人としてだけ動き、考えているわけではありません。専門性のあるNPOや社会的責任を意識した企業を自らの代理人や参考人として考え、動く市民も数多くいます。そこでは行政を上回る専門性が見られることも少なくありません。

 市民は個々としては困難であっても、そのような構造によって、政府・自治体が行った広報に呼応して、行政の不足を埋めることが可能になっていると考えます。東日本大震災でも多くのボランティアが働いています。行政から提示された危険性と防御可能性を十分に吟味して動くことが可能になっていると考えます。NPOや企業を代理人とし、ICTの力によって集合知を身につけた市民を信頼すること。そのような市民の力を誘発する。行政広報の可能性がそこにあると考えます。

 注:菅谷昭・長野県松本市長の記者会見
 http://www.city.matsumoto.nagano.jp/aramasi/sityo/kaiken/teirei20110322/index.html
  1. 2011/07/01(金) 11:34:32|
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河井孝仁

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