河井孝仁のシティプロモーション日記とか

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『メディアとしての電話』

1か月ぶりの投稿になってしまった。
いろいろな原稿書きや打合せに追われて、なかなか手が回らないなか、あまり気負わずに書ければいいのだろうが、なかなか。
とはいえ、単なる身辺雑記というのもつまらないなぁと思うと結局書けないのだから、しょうもない。
ということで、ここのところ読んだ本のミニレビューでも行うことに。
『メディアとしての電話』吉見俊哉他
これは、高機能端末として描かれがちなケータイが「実は」電話でもある、というモバ研受託研究からの自分の気づきに導かれて購入した本。
期待したほど、その気づきに納得を与えてくれる内容ではなかったが、それはないものねだり。
技術的進展によって(たとえば番号通知が当たり前になって)、この本の立論の根拠が崩れている部分もある。その意味では、あらためて「番号通知」の持つメディア的意味を分析することも面白いかも。
また、メールと通話の違い という点が、それほど明確に見えていないのも、14年前の書籍ではいたしかたなし。例えば「電話の中の身体は、日常の身体が持つ重さや厚さ、かっこうわるさやみっともなさを持たない、軽々とした身体である」という指摘は、むしろメールにこそふさわしいのでは?
しかし、まさにその「身体」という部分への言及が可能なのは、メールではなく、声という肉体性を持つメディアである電話だからこそ と言うこともできるだろう。
と、すれば、ケータイが実は「電話」でもあるということの重要性は、そこに「身体」の介在が、どれほどあからさまになっているか という点になる。
この収穫一点で、この書籍は「よし!」
  1. 2006/05/07(日) 20:17:05|
  2. 読んで,書籍・・・|
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河井孝仁

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自著(単著・共編著・執筆分担)

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