tacoh's random diary annex

ポータブルガバメントという発想(2)-『広報会議』2012年4月号

 前回、タブレット端末の普及を背景にして、政府に関するコミュニケーションや行政に関するコミュニケーションが、ことあらためてではなく、くらしのなかで、生活する人の必要に応じ、寄り添いつつ行われる可能性について考えました。アフォーダンスやアンビエントというデザインに関わる言葉を手がかりにした、携帯できる政府という意味を込めたポータブルガバメントという発想です。

 その発想を進展させる前に、地方自治体の公式ホームページについて考えます。インターネットを利用して地域の情報にアクセスするために、多くの方が利用するものが地方自治体の公式ページだと思います。各自治体はわかりやすいページづくりに心がけ、トップページの構成にも意を尽くしています。

 しかし、自治体公式ページにアクセスする多くの人はトップページを鑑賞するためにウェブページを利用するわけではありません。必要とする情報に最短でアクセスするためにウェブページを利用することがほとんどでしょう。その場合、とても有効なものが検索窓です。検索窓に検索したい内容を書き込み、ボタンをクリックする。それによって情報に近づこうとします。あるいは最近、どのような情報が検索されているかが表示されていれば、その誘導に従って検索しアクセスすることもあるでしょう。

 そうした行為は、自分の必要とする情報を、自治体行政がどのようにジャンル分けしたか、どのようにカテゴライズしたかとは無関係です。極言すれば、自治体はコンテンツを的確にアーカイブとして提供すれば、情報利用者は検索によって自らが必要とする情報を探し出す。トップページの構成などは不要であり、トップページには検索窓と最近の検索語だけがあればいいとさえ言えるかもしれません。

 しかし、検索に慣れた市民だけではないという意見もあり得ます。また、市民による情報ニーズに応えるだけではなく、市民に地域経営への参画を働きかけるという情報供給も求められます。そうしたときにあらためて必要となるのがアフォーダンス、アンビエントという発想です。それぞれの市民の性別や年齢、居住地や通勤地、関心や趣味などの属性に応じ、必要となりうるだろう情報をいつのまにか、使いたくなる形式やタイミングで、手元にある情報機器に提示する。ポータブルガバメントの姿です。それは地方自治体が「誰にでも」使いやすいトップページの構成を考えるという発想とは異なるものです。いわば政府情報・行政情報のパーソナライズです。そして、そうしたパーソナライズを容易にするものとして個人が識別番号を持つというしくみがあります。

 現在、内閣府は国民それぞれが番号を持つ制度であるマイナンバーについて「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(案)」を提示しています。税と社会保障の一体改革と結びつけて議論されていますが、有効に活用することで、政府情報や行政情報のパーソナライズに基づくポータブルガバメントの実現可能性は大きくなると考えられます。

 東日本大震災における自治体地域外への避難者が、元の住所地である被災自治体の情報を、十分にかつ容易に入手できる状況でなかったことも、ポータブルガバメントの必要性を裏打ちします。

 手元にあるタブレットやスマートフォンに、パーソナライズされた政府情報や行政情報がアンビエントに、アフォーダンスを持ったデザインで提供され、情報発見を支援し、必要に応じ政府や行政と双方向の情報交流を可能にするというポータブルガバメントが実現したとして、市民はそれを親しく利用するでしょうか。

 アンビエントでアフォーダンスに配慮された情報に関わる仕組みは、ことあらためて「利用」するという思いを持たなくても、いつのまにか使ってしまうということであれば、あまり心配する必要はないかもしれません。しかし、そうはいっても、できるだけ敷居を低くすることで、市民の情報活用や地域経営への参画を容易にすることが求められます。

 そのための一つは市民の学び支援です。タブレット端末はパーソナルコンピュータ(PC)や携帯電話などの従来の情報機器に比べれば利用しやすくなっていること、その意義については前回に述べました。それでも、タブレット端末を利用することの楽しさや便利さを体感してもらうための支援は必要でしょう。今まで、多くの情報活用支援のNPOが高齢者等にPC教室や携帯電話利用講習を行ってきました。タブレット端末についても、そうした活動は期待されます。

 それに加えて、最近注目されているゲーミフィケーションという考え方とタブレット端末やスマートフォンの相性があります。ゲーミフィケーションとは、課題の解決にゲーム的な要素である競争・協力や達成感、心理的報酬などを組み込み、参加を容易にし、意欲を高める手法です。和歌山県有田市ではAR-ARIDAというスマートフォンのアプリを開発し、ゲーム的要素を活用して有田市への関心を高めようとしました。有田市の特産品であるみかんがもらえるゲームは、多くの参加者数を得ることができました。

 直接、ゲームをプレイしてもらうということではなく、先の要素を組み入れることで参加者が協力して課題を解決するという取り組みが、分子レベルの構造解析や自動車運転レベルの向上につながっている事例がNHKテレビでも紹介されていました。タブレット端末を積極的に活用するポータブルガバメントに、もともと相性のいいゲーミフィケーションという考え方を取り入れることが出来れば、ポータブルガバメントへの身近さはさらに高まると考えられます。

 さらに、ポータブルガバメントを発展させたポータブルガバナンスという考え方を提示することも可能です。地域経営は市民と行政だけでは行われません。NPOや地域企業もまた市民の代理人として地域の経営に参画することが求められます。そのためには、市民が何を考えているのか、NPOや地域企業が何をしようとしているのかが見える化され、さらに意見交換・協力などによって課題の解決を図っていくことが必要です。

 佐賀県武雄市ではTwitterやFacebookを利用して、行政の見える化を実現しようとしています。そこでは行政の見える化に応じた地域企業の提案もまた行われています。静岡県島田市のeコミュニティしまだでは、市民やNPO・地域企業のブログやTwitterでのツイートの集積、コミュニティFMとの連携、地域で発行される多様な紙媒体の電子化が行われています。さらに、それらが一覧化され、案内人という存在によって編集されています。そのようにして、パーソナライズされた情報を活用できるようになり、行政情報や政府情報を解釈する資源になる、それもまたポータブルガバナンスという考え方につながるものでしょう。

 タブレット端末の急速な普及のもと、タブレット端末やスマートフォンを起点にしたポータブルガバメント、さらに多様な情報に関わる参加者を得たポータブルガバナンスの可能性を意識しながら、地域コミュニケーションを考えていく必要があると考えています。
  1. 2012/05/06(日) 23:08:48|
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「Twitterで学生が研究内容を暴露している件について」について

まぁ、東大の博士課程1年の方の書かれているブログ「Twitterで学生が研究内容を暴露している件について」とは、議論のいろいろな前提がまったく異なるので、河井ゼミのtweet活用について心配している人もいないだろうが、一言。

河井ゼミでは研究内容を原則として積極的にtweetするように奨励している。できればゼミでの意見交換をustすることも考えている。

これは研究している学生の志向キャリアにも関係があると考える。

将来的に研究者になることを検討している学生の場合は、リンク先ブログにもあるように、上記について慎重に行う必要があるだろうが、そうではない場合は、むしろ、学生が「真剣に研究に取り組んでいること」を見える化し、学生への積極的評価を獲得しようとするとともに、研究そのものについても一定の内容を示すことで多くの人の意見を誘い込むことが可能になるという発想に基づく。
いわば、ゼミを核にしつつ、フォロアーを含めた集団で課題解決を図ることを目的としている。

このあたりは、河井ゼミが、「教授の研究を研究室が一体となって補佐し進める」というパタンではないということも与っているだろう。

むしろ、あまりないかもしれないが、河井ゼミ各研究班のtweetを何らかの小さなきっかけにして、まったく別のところで新しい研究や動きが生まれれば、それが私たちに知らされないとしても、別に問題ではないとも思っている。教えてもらえれば学生は嬉しいので、期待はしたいが。

で、ここからは、河井ゼミという特殊解の話ではなく一般論だが、研究(成果)が個人のキャリア資産にとどまるものではなく、あるいは個別の学会という比較的小さい「内部」での共有資産にとどまることなく、広く社会にとって意味のあるものになるためには、一定の途中状況の暴露が必要になると考えている。

リンク先ブログでも一律に「tweetすべきではない」と言っているわけではないのだろう。確かに、「守る」ためのtweet(ソーシャルメディア)排除と「攻める・誘い込む」ためのtweet(ソーシャルメディア)活用の案配は難しい。そのあたりが面白くもあるけれど。
そして、その判断のための前提が、どのような研究内容なのか、どのような研究体制なのか、どのようなキャリア志向の学生なのかなどなど、それらを踏まえての議論になることが重要なのだろう。

あらためて考えるために、山口さんから紹介されたリンク先ブログは参考になった。
山口さん、ブログ主のshirotayamaさん。ありがとうございます。

  1. 2012/04/30(月) 22:15:04|
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ポータブルガバメントという発想(1)-『広報会議』2012年3月号

 最近、ポータブルガバメントという言葉を考えています。持ち運べる政府という意味を込めています。
 ここのところ、iPadなどのタブレット端末が急速に普及しています。この原稿を書いている日にも、障害のある子どもたちの教育にタブレット端末が有効であることがニュースで紹介されていました。文字を書きにくかったり、ページをめくりにくかったり、大きな教材を利用することが困難だったりする子どもたちにとって、指を滑らせることで多くのことを行うことができるタブレット端末がたすけになっているという内容でした。タブレット端末については、この連載においても、災害時の情報提供手段としての意義を述べたことがあります。またタブレット端末は高齢者とインターネットをつなぐ道具として、従来のパソコンや携帯電話に比べ優位性をもっています。

 文字を記すという行為のなかで最も利用している道具がキーボードである人も多いでしょう。ディスプレイに置かれている画像(オブジェクト)をつかみ、移動させるときにはマウスを使うことが当然でした。IT機器に関わる企業の多くが打ちやすいキーボード、握りやすく使いやすいマウスをつくりました。携帯端末にも活用できるキーボードやマウスを積極的に発表しました。あるいは、携帯電話による文字入力は1から10までの数字ボタンを文字キーに見立てて利用することが当たり前でした。若い年齢層にとっては文字を記すことの多くが携帯電話の数字ボタンを押すことになっていたと思います。

 しかし、文字を記すことの多くがボールペンと紙、鉛筆と紙という方も少なくありません。そうした人々にとって、キーボードやマウスとディスプレイ、携帯電話の数字ボタンという道具は文字を記すという行為にとって隔靴掻痒だったはずです。このことは私にとっては意識的には改めて考えたことがない点でした。それだけ、文字を記す=キーボードを使うということが当たり前になっていたわけです。このことは、マウスを持ち上げてディスプレイに押し付けている姿を笑い話として聞いていたことにもつながります。

 打ちやすいキーボードや押しやすいボタン、携帯端末にも活用できるキーボードやマウスという発想ではなく、手軽に情報を活用するという目的に身近に寄りそったものとしてタブレット端末を考えることができます。どのようにしたら、よりよく「文字を記すという行為」「ディスプレイに表示されたモノをつかみ、移動するという行為」を可能にするのかを考える、そのときに創造的破壊としてのタブレット端末が生まれます。指をディスプレイに滑らせるという直接性がすばらしいキーボードやマウス、押しやすい数字ボタンを「破壊」し、タブレット端末を「創造」したと考えられます。イノベーションが単なる技術進歩ではなく、創造的破壊であるということのわかりやすい事例です。

 この創造的破壊が、参画しやすい政府であるポータブルガバメントの道具としての基礎を作ります。今まで、この連載でも多くの自治体による情報技術を使った取り組みを紹介してきました。それらは行政サービスを的確に活用してもらうための、地域の課題を認識し共に地域経営に関与してもらうための、地域の魅力を訴求するための取り組みでした。そこには市民への情報の幅広い公開や、市民の声を聞き、施策に積極的に活かそうという双方向性も備えていました。それらは、政府が市民の代理人として常に選択されている状況を作り出すための取り組みであるということもできるでしょう。政府を政府の行う取り組みを他人事にしない。主権者である市民が人々の幸せを築くために、自分たちだけでは行いにくい役割の、小さくない一部を政府に負託し、それらが的確に行われているか監督し、さらによりよいものにしていくための提案を行う。そのための取り組みであったはずです。

 しかし、それらの取り組みがキーボードやマウス、携帯電話の数字ボタンという道具を前提とするならば、それらはやはり間接性による、ぎこちない他人行儀なものだったのではないかと考えています。子どもたちの顔を見ながらどんな公園があるといいか思いついたとき、地元の川をみながら環境についての新しい計画について意見が生まれたとき、家に帰らなければ手近にはないパーソナルコンピュータや小さな画面しかない携帯電話では面倒で、そのままになってしまう。そうしたことが、手元にあるタブレット端末にあるアプリやショートカットに指を置くことで可能になる。もちろん、そのような行為が促されるにはまだいくつかのハードルがあります。そのことは後で再検討します。

 ここで申し上げたいのは、地域に関心を持ち、ともに人々の幸せを築き、そのために自分だけでは十分にできないことを代理人に負託・監督し、自らも積極的に意見を提示するという地域経営への参画にとっての「アフォーダンス(を持つデザイン)」ということ、「アンビエント(なデザイン)」ということです。

 アフォーダンスを持つデザインとは、カリフォルニア大学サンディエゴ校名誉教授で認知科学者であるD.ノーマンの著作に基づけば「人が○○という行為をしたくなる可能性を高める」デザインということです。たとえば、人は椅子ではなくても高さや大きさなどが「ちょうどいい」箱があれば、そこについ座ってしまう。そのような、行為を誘い出すようなデザイン。

 アンビエントなデザインとは、人が普段は気にしていないけれど、ごく小さなきっかけによって、何らかの(無意識的な)行為が誘い出される環境を用意するためのデザインということもできると思います。私が大学院に在籍していた頃、アンビエントな環境を持つパーソナルコンピュータのディスプレイ画面を研究している知人がいました。彼の提案した画面は、時刻にあわせて空の色が変わっていく街の様子を単純なデザインで描画したものです。影だけの小鳥がそこをときおり飛んでいく。それだけのものでした。ただ、その鳥はメールの到着がある程度の数になると、その数に応じて振る舞いや鳥の数を変える。そのようなものだったように覚えています。一通一通に反応するわけではないし、開封を強いるわけではないけれど、いつのまにか増えている鳥が、普段はしない宙返りを小さくして消えていく。そこにふと気づく。私はアンビエントというものをそのように考えています。

 今まで、政府に関するコミュニケーション、行政に関するコミュニケーションは制度として発想され、必ずしもデザインとしては発想されてこなかったのではないか。そのことが、どれほどよい仕組みがあったとしても政府や地域を他人事としていたのではないかと思います。タブレット端末という創造的破壊が、アフォーダンスやアンビエントというデザインの発想を地域経営にも可能にするのではないかと思いはじめています。次回以降で、こうした発想をさらに展開させていきたいと思います。
  1. 2012/04/08(日) 08:55:01|
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ソーシャルメディアサミットを聴講

昨日はアジャイルメディア・ネットワーク主催のソーシャルメディアサミットを聴講してきました。
なんとなく内容を自分勝手にツイートしたので、こちらにまとめておきます。

最初のセッションでは、ソーシャルにしろマスにしろ、メディアを択一で考えるのではなく各々の強弱考えて<時系列踏まえて>組合せることが大事という話と、企業としてブランドに人格を持たせることができれば一貫した納得のある対応が可能になるという話ってことでいいのかなと考えました。
特に、いつが投下のタイミングなのかという<時系列踏まえて>というところが強調されていたような印象です

セッション2はソーシャルメディアの広告効果測定がテーマでしたが、効果測定というところまでは深まらなかったかなというのが率直な印象。
アディダスやサントリーがソーシャルメディアを活用するにあたって、多様なKPIを設定していることは理解できました。
ソーシャルというかWeb活用を従来メディアから切り離して効果を測れるかを課題としていましたが、セッション1のメディアの組合せが大事ということからは少しずれた内容になったかもしれません

セッション3ではソーシャルメディアの価値としておおきく二つが挙げられたと思います。
まず、ソーシャルメディア活用がダイレクトに売上に結びつくのではなく、いったん(企業)ブランドの信頼向上にむけて機能し、それによって強化されたブランドへの信頼が売上につながるっていくというロジック。ブランド強化が売り上げにつながるかについては別の測定が必要になるのかなという理解でした。このあたりはセッション1につながる話として聴いていました。
もうひとつの価値として、デルのソーシャルメディア・リスニング・コマンドセンターに代表される傾聴の手段というものがあることが確認されていました。

セッション3の本筋ではないかもしれませんが、花王の方が話されていた「ヘルシア12週間チャレンジ」で、応援を行ったり受けたりということがない一方通行のユーザーはチャレンジ継続が難しいということに興味を持ちました。
これは、ゲーミフィケーションの発想で解ける部分があるかもしれません。特に、似たような体型の参加者を表示する機能などは、それを強化しているのではと思いました。
これを敷衍すれば、webによる可視化がゲーミフィケーションを成立させやすくするってことなのかもしれません。そのうえで、そうした場を提供した花王という企業へのエンゲージが強まるってことも考えられるような気がします。

セッション4はいろんな意味で「凄い!」内容でした。
猪子さんがおっしゃった「プレゼンで、案件の話ではなくほとんど『未来』の話をする」とか、中村さんの言われる「わかってくれる(けどレベル超過なんでうちの企業では無理。だけどやりたい)という担当者がいる」との話。平野さんの「聞いてないのは聞かせてない」との話。
いずれも「創造の膂力」というものを持つ人が、それを理解する人を「引きつけてくる」ということだと考えました。
「結局は『人』」ということではあるのですが、猪子さんや中村さんのようにとてつもない膂力を持つわけでなければ、(そうであっても?)「『人』と会う」「『人』となる」ために周到な準備が必要なのかなとも思いました。

http://agilemedia.jp/sms/
  1. 2012/03/10(土) 10:35:34|
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佐賀県武雄市「広報武雄」の意味-『広報会議』2012年2月号

 佐賀県武雄市は市職員全員にTwitterのアカウントを持たせ、公式ページをFacebookにするなど、ソーシャルメディアの活用で注目されています。樋渡市長が日本ツイッター学会、日本Facebook学会立ち上げに関わり、市の組織としてFacebook係があることも異色です。
私もそれらに興味を持ち訪問してきました。ちなみに、武雄市は「武雄市への行政視察のご案内」をwebに掲載し、行政視察の申し込み方法、視察テーマ別ランキング等を示しています。同じページに武雄市観光情報検索へのリンクが貼られていることもよく考えられています。

 しかし、武雄市を訪問した私にとって最初の驚きはweb上のソーシャルメディアの活用ではなく、行政広報誌「広報武雄」でした。

 表紙に東日本大震災ボランティア タウン・サポート「チーム武雄」の写真を掲載した広報武雄11月号は、第6回がばい武雄の物産まつりというイベント開催案内を2ページ目に置いています。おしくらマンという豚を模した武雄市のゆるキャラが「遊びにきてね!」と言っていることはそれほど珍しくはありません。あまり可愛いという印象ではない(失礼!)豚が青やピンクの装束をしていることには少し引き気味になるとしても。それ以上に、私が違和感を感じたのは、おしくらマンと一緒に手を挙げて、ぎこちない笑顔を見せている男性です。男性の写真には担当:石丸というキャプションが付けられています。

 広報武雄3ページには物産まつりの詳細、4ページには表紙写真に関連したチーム武雄活動報告があります。その次のページ、緊急災害情報エリアメール配信開始の記事には、開いた赤い携帯電話を元気よく手前に見せる、ちょっといかつい男性の写真があります。キャプションは担当:山北。下部の記事は糖尿病予防のための講習会。女性がパンフレットを持ち、これも笑顔でこちらを見る写真があります。キャプションは担当:永渕。

 以降の、ひとり親家庭の人へ、障がいのある人へ、B型・C型肝炎の治療費助成制度という各ページでも、微笑んだり、歯を僅かに見せて笑ったりしている写真が続きます。5ページから8ページにある6枚の写真はすべて笑顔の写真です。それぞれ、担当:古賀、担当:松尾、担当:草場、担当:森田とキャプションされています。森田さんはあまり笑顔が得意ではないのか、若干ひきつった感じですが、笑おうとしている努力は感じられます。

 それぞれの業務を担当している職員が顔を曝しているわけです。親しみやすさという点からも注目できると思いますが(私にとって好感が持てた森田さんの努力による笑顔が、親しみやすさに繋がるかは人によってそれぞれだと思いますが)、むしろ、これは「責任」の問題として捉えることができると思っています。

 行政の仕事は基本的には組織として行われ、個人が前面に出ることは一般的には少ないと考えます。地方自治体職員の多くには名刺が支給されず、必要と考えた職員個人が自前で作成していることが多いこともその証左かもしれません。

 もちろん、武雄市においても住民に対する最終的な責任は組織が負うことになります。しかし、広報武雄の職員の笑顔には、その組織を見える化し、組織が個人によって成立していることを意識させる力があります。このことは職員個人にとって厳しさにもつながるでしょう。最終責任は組織がとるとしても、顔と名前を曝していることにより、各事業の成否について、少なくとも「担当:○○」の仕事として言及されることはあり得ます。一方で成果を上げることができれば「担当:○○」が関わった仕事が、住民の幸せに繋がったとの評価を得られることがあるかもしれません。広報武雄に掲載される職員の笑顔には、あえて両刃の剣を持ったという意味を読み取ることができます。

 武雄市職員全員がTwitterアカウントを持つことも、ここにつながる部分があると思います。市の公式ページからリンクされるtakeocitypubというTwitter公開リストには、職員ツイートが一覧されています。takeocitypub全体には多声的(ポリフォニック)に武雄市をプロモーションするという魅力もありますが、個々の職員ツイートに注目すれば、そこには「職員の見える化」という広報武雄の笑顔と同じ発想が見られます。しかもTwitterでは、職員の思いや具体的な業務への取り組みまでもが露呈されています。意欲を持ち、積極的に業務に取り組み、地域の幸せを築こうとしている武雄市職員の担当:○○が浮き彫りにされてくる姿です。

 最近、いくつかの自治体が、職員のソーシャルメディアの利用に関するガイドラインを設け、職員によるソーシャルメディア活用を進めようとしています。これらも活用の仕方によっては多声的な地域プロモーションにとどまらない、職員の見える化につながる可能性を持っています。

 リボルビングドア(回転扉)というキャリアに関わる言葉があります。アメリカの大統領交代時に多くの政府職員が辞職し民間シンクタンクや企業経営等に職を求め、逆に産業界や学界などの人々が新たに政府職員として働く姿を称した言葉です。NPO職員や企業社員、研究者と行政職員が相互に仕事を代わり、一定期間がたてば、NPOや企業、行政、研究機関に戻る、それを何回か繰り返すことも指します。

 多様な経験や知識、意欲を持つ人々が、それぞれの才能を活かし、個人としても多様な場で活躍する。あるときは企業に関わって意義のある製品やサービスの開発・提供に関わり、あるときはNPOの理事・職員として非営利事業の的確な展開を図る。また、研究者としてあるべき姿を考察する。さらに行政職として企業やNPO、研究機関での経験も生かして、地域の人々の幸福形成に尽力する。これは、企業、NPO、研究機関、行政がそれぞれに他者を知らないまま縦割り、非効率に活動している状況に比べればはるかにダイナミックな可能性を持った姿だと考えます

 行政職員の見える化という点に関わって言えば、その職員が「見えている」からこそ、何ができる、何を考えている人間なのか、どのような思いで公務に関わっているかが、市民にも、企業にも、NPOにも、研究機関にも理解可能となります。実際にも数は少ないとはいえ、行政という場から新たな場に踏み出す人々も生まれています。そうしたときに「見える化」されていたことは大きな意義を持つはずです。

 一方で、個人のメールアドレスさえない地方自治体があります。小規模ではない政令市でも。情報セキュリティ等の課題もあるのでしょう。しかし、職員によるソーシャルメディア活用も不十分で、組織メールアドレスしかない自治体での、職員の見える化は困難です。閉鎖性を感じさせます。

 これからの日本は、縦割りだけに安住したスタティックな仕組みのまま成長を志向することは困難です。多彩な人々の連携や交感によるダイナミックな仕組みが求められるはずです。徐々にそうした姿も見えてきています。

 広報武雄の職員の笑顔はそうした姿にもつながっていると考えます。
  1. 2012/03/01(木) 08:32:11|
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河井孝仁

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自著(単著・共編著・執筆分担)

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